「社会人に向いてないのかもしれない」と口にしたら、「甘えるな」と返された。仕事がつらい理由を話す前に、まともな大人かどうかの審査が始まる。もう、うんざりです。
社会人に向いていないと感じることは、甘えではありません。まして、周囲から「まとも」だと思われるために、嫌な働き方へ自分を押し込む義務もありません。そのまともさは、いったい誰をラクにしているのでしょうか。
「甘え」で片づける人は、何がつらいかを見ていない
働くのがつらい、と言っただけで「みんな同じだ」「社会人なら我慢しろ」。便利な返事です。何が苦しいのかを聞かずに、話を終わらせられますから。
仕事の速さについていけないのか。周囲と同じ熱量を出せないのか。出勤するたびに気力を削られるのか。それぞれ違うのに、「甘え」の一語でまとめてしまう。説明する能力のない側が、聞く手間まであなたへ押しつけています。
そして言われた側は、「もっとまともにならなきゃ」と、自分を直す仕事を始めてしまう。勤務時間が終わっても、頭の中では他人の採点が続く。その時間まで、誰のために差し出すのですか。
この社会への適合が、そんなに立派なことですか
「社会不適合者」は、見下すために使われる言葉です。でも、適合する先の社会を見てください。休みを取れば申し訳なさそうにしろ。会社の目標へ熱を上げろ。仕事を増やされても笑って受けろ。そこまでできる人だけを「まとも」と呼ぶなら、その称号は要りません。
会社が欲しがる人間像と、あなたがラクに生きられる姿は一致しないことがあります。むしろ一致しないから、毎日が苦しいのでしょう。会社へ合わせられないという事実を、人格の欠陥にまで膨らませる必要はありません。
一つの職場の空気に入れずつらいなら、会社に馴染めないのは欠陥ではないで、その会社との距離の取り方を扱っています。ここで言いたいのは、もっと手前の話です。「まともな社会人」そのものを目標にしなくていい。
他人にまともだと思われなくても、あなたの一日は続く
周りに「普通はこうする」と言われた瞬間、反論を用意しなくてもいいです。説得して分かってもらう義務もありません。相手はあなたが失った睡眠も、削った休日も、帰宅後の絶望も引き受けません。安全な場所から「まとも」を唱えるだけです。
だから他人は関係ない。冷たい言葉ではなく、あなたの人生の損失まで他人に決めさせないための線です。職場で無理に立派な顔をしなくてもいい。仕事への熱意がわかなくてもいい。嫌なものを嫌だと思う自分まで、矯正しなくていい。
仕事の出来を理由に「生きる価値がない」と感じるところまで追い詰められているなら、会社の外に自分の世界を残す話が近いです。この記事では、能力の判定より先に、「まともでいなければならない」という思い込みを捨てたいのです。
他人からまともだと思われなかった日も、あなたの一日です。会社の期待に届かないまま、次の日を迎えていい。会社に都合のいい社会人になれないからといって、自分を嫌う必要はありません。
「まともな社会人」になれず、自分だけおかしいのかと苦しくなる人へ。「モンスター社員の教科書」には、会社に適応しないモンスター社員の実例と、少しラクになる見方をまとめています。



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