仕事が多すぎる。今日の分を片づけても、明日にはまた増えている。終わらない仕事を前にして「自分が遅いから」「段取りが悪いから」と考え始めると、帰宅後まで会社に頭を占領されます。
でも、いったん立ち止まって考えたいです。会社が引き受けた仕事が、そこで働く人数と時間を超えている。その差額をあなたの残業で払わせているなら、仕事が多すぎるのはあなたのせいではありません。
目の前の上司を責めても、仕事の総量は消えない
仕事を振ってくる上司に腹が立つのは当然です。今日も「急ぎ」を三つ持ってきた本人が定時に帰ったら、なおさらでしょう。
ただ、その上司に採用も受注もサービス水準も決める権限がなく、上から降りてきた量を配っているだけなら、上司一人を悪者にしても仕事の総量は変わりません。もちろん、配分を偏らせたり、部下の限界を知っていて放置したりするなら、その上司にも責任があります。
「上司をかばえ」という話ではありません。怒りの向け先を一人へ絞ると、仕事が増える仕組みそのものが見えなくなるのが悔しいのです。
社長に責任はある。でも、一人を憎んでも片づかない
人を増やすか、受ける仕事を減らすか。経営側には、そのバランスを決める責任があります。現場に「気合いで回せ」と言い続けていいわけがありません。
一方で、資金が足りない、取引先の要求を断れない、社長自身にも動かせない条件がある。そんな事情もあり得ます。だから社長個人を憎めば問題が解ける、とも思いません。
誰か一人の性格が悪いから、という説明だけでは足りない。人を増やせないのに、提供するものは減らせない。このねじれを当然にしているものがあります。
「お客様は神様」のしわ寄せが、現場の仕事になる
安い店でも、少し待っただけで店員へ怒りをぶつける。温かいものと冷たいものを分けなかっただけで、不満をぶつける。必要な仕事と、客の気分を先回りして満たす仕事の境目が、どんどん消えていきます。
会社は「お客様の期待に応えよう」と言います。聞こえはいい。でも、値段も人員も据え置いたまま、細かな気配りと例外対応だけ増やせば、その分は現場の時間から引かれます。足りない人手を補うのは、いつも同じ人の残業です。
「お・も・て・な・し」を誇るのは勝手です。その舞台裏で、誰かが給料に見合わない気配りを何層にも重ねているなら、手放しでは褒められません。過剰なサービスを標準装備にして、ついていけない人へ「能力不足」と言う。反吐が出るほど都合のいい採点です。
人手不足は目の前の問題です。でも、限られた人数でどこまで客の期待を引き受けるかという線を引けないことが、仕事を増やし続ける原因でもあります。
自分まで「もっとサービスしろ」の側に回らない
この文化を一人で変えるのは無理です。変革の担当者になる必要もありません。
せめて、自分が客になったとき、安い料金で何でも先回りしろとは求めない。店員が一つ気を利かせなかっただけで、仕事を増やすような怒り方はしない。誰かに押しつけられた過剰な仕事を、別の誰かへ回さずに済みます。
職場でも、頼まれていない気配りや独自ルールを自分から増やさなくていい。よかれと思って足した一手間は、次から全員の標準業務になりかねません。もう抱えている量だけで十分多いのです。
追加の依頼が自分へ集中する場面は、仕事を振られすぎる人へで扱っています。毎回の完成度を上げすぎて消耗するなら、仕事は手を抜くくらいでいいのほうが近いです。この記事で考えたかったのは、そもそもなぜ仕事がここまで増えたのか、という話です。
仕事が多すぎる事実は、明日すぐ変わらないかもしれません。それでも、自分を責める必要はありません。人手も時間も増やさず、客への約束だけ膨らませた仕組みの尻拭いを、あなたの能力と良心で引き受けなくていい。
考えたけれど、やっぱり俺は悪くない。そう言っていいです。
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